『砂時計』

第十二章 『あなたの近くに』



RRRRRRRRR…


「はい、工藤です!」
『よぉ、蘭!元気か?』
「新一!」

新一がロサンゼルスに渡って約一ヶ月。
暫くは入院をして検査が続き、その間新一は約束通りに毎日電話をしてきてくれた。

「調子はどうなの?」
『毎日検査ばっかでさ、それ以外は読書くれーしかする事ねーし…暇って言えば暇なんだよなー。』
「新一は今まで頑張りすぎたんだから、たまには休めって神様が言ってるのよ。」

クスクスと笑い声混じりに蘭が言う。
何気ない遣り取りでも、会う事の出来ない二人には言葉の一つ一つが胸に染み入る。
耳元に聞こえるクスクスと笑う蘭の声は、まるで音楽のように優しい。
聞いているだけで心地好く、落ち着く。


始めは蘭も一緒にロスに行く事も考えた。
しかし飛行機での長時間の移動や慣れない海外での生活で、胎児や蘭に何かあっては…と新一が反対したのだった。
事実、蘭は三年前に新一とアメリカに渡った時に高熱を出した過去がある。

『オメーの方は?体調大丈夫か?』
「うん、順調だよ!お腹の赤ちゃんもすっごい元気なの。時々強烈なシュートされちゃって痛いのよね。やっぱり新一と同じでサッカーが好きなのかもね!」
『おいおい、大丈夫なのか〜?』
「あら、赤ちゃんが元気な証拠よ?」

「それとね…」と蘭が嬉しそうな声で囁くように続けると、新一も『ん、何?』と小さな蘭の声も聞き逃すまいと耳を傾けた。

「今日の健診で判ったの。…赤ちゃんの性別。」
『男の子だろ?』

新一の返事に蘭は「あれ?」と首を傾げた。

「どうしてそう思うの?わたし言ってないよね?」
『オメーさっきサッカーがどうのこうの言ってたじゃねーか。女の子だったらそんな事言わねーだろ?』
蘭は自分で口を滑らせた事に今更ながら気付いた。
「流石新一だね。何気ない言葉も聞き逃さないよね。」

自分の言葉をちゃんと聞いてくれている新一に思わず蘭は嬉しくなる。

『まぁ元気で無事に生まれてくれれば男の子でも女の子でもオレは満足だからさ…』
「…うん、そうだね。」
新一の言葉に蘭は微笑んで頷いた。



『…明日さ、手術なんだ。』




唐突な新一の台詞に蘭はハッと息を呑んだ。
「…明日…なんだ?」
『オメーには無事終わるまで言わずにおこうかと思ったんだけど…万が一とか思うとさ…』

新一らしくない弱気な声に、蘭はキュッと心臓が痛くなる。

「…万が一って何よ…?絶対帰ってきてくれるんでしょ?」
『…そうだったな。わりぃ。』
「万が一にも億が一にもないよ?お腹の子のパパは新一以外いないんだからね…?」

受話器を通しても判る涙声。

『ごめんな?もう言わねーから…』

新一に見えている訳でもないけど、蘭は小さく首を振った。
蘭以上に新一の方が不安を抱えてる筈なのに、こんな励まししかできない自分が悔しい。

成功する可能性は50%しかないのに、それでも必ず生きて蘭の元へ帰って来ると約束してくれた。
言い換えれば、明日の手術によって50%の確率で命を落とすかも知れない。


それなのに、その新一にそんな我侭のような事しか言えないなんて。



会いたい。


その言葉を飲み込み、蘭の口はやっとの想いで別の言葉を綴った。

「…手術…頑張ってね?…傍にいられなくてごめんね?」
『バーロ。そんな事気にすんな。オメーは無事に出産する事だけ考えてろよ。』
「馬鹿…そんなワケにいかないよ。新一はわたしの世界一大事な旦那様なんだから…」

柔らかい蘭の声を聞いている内に、先程までの不安が嘘のように消えていく。

『…今日蘭の声が聞けて良かったよ。すげー励みになった。』
「…うん…」
『蘭。』
「ん?」





『愛してる…』








『当機は間もなくロサンゼルス国際空港に到着致します。現地の天気は…』



「蘭、もうすぐだね。大丈夫だった?」
「有難う、園子。流石はファーストクラスだね。思ってたよりも楽だったよ?新一のご両親に感謝しなくちゃ。」

蘭と園子を乗せた飛行機が成田空港を経って約十時間、間もなく新一がいるロサンゼルスに到着する。
身重の蘭を気遣って、優作と有希子は蘭にファーストクラスのチケットを送った。
妊婦と見れば機内のフライトアテンダントも必要以上に気を遣ってくれる。
お陰で以前LAに行った時よりも、随分楽なフライトになった。
本当は母の英理が同行する筈だったが、弁護士と言う職業柄、抜け出せない仕事が入ってしまい、代わりに園子が付き添いで来てくれた。

「つき合わせちゃってごめんね?ウチの両親、二人とも急な仕事が入っちゃって。」
「いーのいーの。大学は推薦決まってるし、出席日数さえ足りればあとはもう試験と卒業式だけ出ればいいんだし、飛行機も宿泊も全部新一君の家で面倒見てくれるって言うしね!」
財閥のお嬢様らしからぬ園子の言葉に蘭はふふっと小さく笑った。
「何よりも他ならぬ蘭の為だもの。地球の裏側だろうがイスカンダルの彼方だろうがドコまでもお付き合いするわよ?」
「…イスカンダルって実在するの?」
「えっ?しないの?」

こんな不安な気分のまま、一人旅にならなくて良かった…

明るい園子との遣り取りにホッと息を吐く。
自分を気遣って故意に明るく会話している園子に蘭は気付いていたが、今はそんな不自然な明るさでさえも有り難く思う。


どうしても新一の近くで出産したい。



蘭の希望に新一の両親は応えてくれ、暫くLAの工藤邸に園子と二人滞在する事になった。
新一が先に入院をしている病院には産婦人科もあり、日本人の医師もいると言うので、蘭も同じ病院で出産をする事にした。



最後に電話を貰った翌日――
長時間に渡った手術は成功し、誰もが胸を撫で下ろしていたが。


術後、眠ったまま目覚めないのだ。
一向に。


このまま二ヶ月…もしくは三ヶ月、目を覚まさなければ最悪の事態の覚悟も必要だと医者に言われた事は蘭は知らない。

最悪の事態…それはただ生き長らえているだけという状態…
つまりは植物人間として一生を全うしなければならない―――




暫くの後、二人を乗せた飛行機がロサンゼルス国際空港に降り立った。


ゲートを出て階段を降り、入国審査を済ませて税関を通ると、到着ロビーの奥の中央の出口に有希子が待っていた。

「蘭ちゃん、園子ちゃん!こっちこっちー!」

お義母さん…というよりはまるで友達のノリだ。
「わぁ、蘭ちゃん随分お腹大きくなったわね?二人とも疲れたでしょ?直ぐに休めるように部屋も用意してあるからまずは家に…」
有希子が蘭と園子を車に誘導しようとすると、蘭は有希子の袖をキュッと掴んだ。
「お義母さん…先に病院に連れて行って頂けませんか?…新一に会わせて頂けませんか…?」

蘭の台詞に有希子は困ったように笑って小さく溜息を吐く。
「そう言うとは思ってたけどね?蘭ちゃんの身体は蘭ちゃん一人のものじゃないの。まずは家に行ってゆっくり休んで…それから病院に行きましょ?蘭ちゃんに何かあったら新ちゃんが起きた時大騒ぎになるわよ?」
茶目っ気たっぷりに有希子はウィンクしながら言うけれど。
「…一目顔を見るだけでいいんです。お願いです、新一の所に連れて行って下さい。」

涙目で言われては有希子も折れるしかない。

「おばさま、わたしからもお願いします。蘭と新一君を会わせてあげて下さい。無茶はさせませんから。」

蘭の隣で園子が有希子に頭を下げた。
「園子…」

「…判ったわ。乗って。」

有希子は仕方ない…という風に笑うと、ジャガーのドアを開けた。



有希子の車が病院の駐車場に滑り込む。
流石はロスの病院だけあって、日本の病院とは規模が違う。
庭には大きな木が何本も植えられていて、冬が近いとはいえまるで自然豊かな大きい公園のようだった。

有希子に連れられて面会用の通用口から中へ入る。
「蘭ちゃん、園子ちゃん、こっちよ。」
あまりにも広くて、方向音痴の蘭は一人では来られなさそうだ。
蘭はきょろきょろと辺りを見回しながら有希子に続いた。



新一の手術からは約2週間が経過していた。
手術直後にはその扉に面会謝絶の札が掲げられていたが、今ではそれも外されている。

「ここよ…」
有希子がドアを開けようとすると、蘭は申し訳なさそうに有希子を見て言った。
「お義母さん…二人にして貰っていいですか?」
「え?」
「新一と…話したいんです。二人で。」

壊れそうな微笑で言う蘭に、有希子は微笑みで返した。

「…じゃ、その奥のロビーにいるから。話し終わったらいらっしゃい?」
「はい…有難う御座います。」

有希子が園子を連れて廊下の奥へ消えていくのを見届けて、蘭は新一の病室のドアをそっと開けた。



「新一…」


奥のベッドに横たわる、一ヶ月振りに会う新一は瞳を閉ざしたままだった。
呼吸器は既に外されているが、腕には点滴の針が刺さっている。

「…えへ、来ちゃった。」

蘭は小さく舌を出して新一に話しかけながらベッドの横にある椅子に座る。
「…久しぶりだね?…痩せたね…?」

小さい頃からずっと一緒にいて。
ここまで衰弱した新一を見るのは初めてかも知れない。

「手術…辛くなかった…?痛くなかった…?」
蘭は掛け布団の中から新一の手を取り出してギュッと握り締めた。
「…でもやっぱり新一だよね。ちゃんと生きてるもんね…?そう約束したもんね…?新一は…今までわたしとの約束を一度だって破った事ないもん…信じてたよ…?」

蘭の声にも、新一は応えることはない。

「…ねぇ、もうすぐ赤ちゃん生まれて来るんだよ…?早く目を覚まして…?」
蘭は握り締めた新一の手を、そっと自分の腹部に押し当てた。

「ホラ…わかる…?今赤ちゃん動いてるよ…?」
堪えていた涙が一気に溢れ出し、蘭の頬を伝って新一の手にポタポタと落ちてゆく。
「…新一の赤ちゃんだよ…?すごく元気でしょ…?…ねぇ、新一…何か言ってよ…?」

新一の手を自分の腹部に押し当てたまま、蘭は新一が眠っているベッドに顔を伏せて泣いた。




「…新一…新一ぃ…!」


静かな病室に蘭の嗚咽が響いていた――




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