『砂時計』

最終章 『腕の中の幸せ』


「じゃーん!ホラ見て見て新一!赤ちゃんのカーディガン!可愛いでしょー?」

蘭が掲げたのは、編み終わったばかりの小さな薄水色のカーディガンだった。
新一が渡米した後から、一人になった米花町の家でずっと編んでいた物をロスの新一の自宅で完成させた。
漸く出来上がったのが嬉しくて、新一の病室まで持って来た。

あまりの小ささに編みながらも感動して何度か涙が零れた。
どんなに小さくても新一と自分の子供はここにいるんだ、と。

新一が手術の為に渡米し、一人になってちょっとナーバスになっているのかも知れないと自嘲しながら編み進めてきた。


ベッドに横たわる新一は、未だ目を覚まさない。
蘭がロスに来てから半月以上が経過していた。

有希子の運転する車で蘭が新一の病院に通うのは既に日課となっていて、訪れた病室で眠っている新一に蘭は毎日毎日語りかける。
いつか必ず…そう遠くない日に新一は呼びかけに答えてくれる…
そう信じて。

返答のない新一に、それでも蘭は言葉を続けた。
「次はおそろいの毛糸で新一のセーターを編もうと思ってるの。」
新一の寝顔を見つめる蘭の顔に、柔らかい微笑が浮かぶ。
「こっちじゃ暑くて着られないけど、赤ちゃんが生まれて新一の目が覚めたら…あのおウチで三人一緒に暮らそうね…?」





新一の病室の窓から見下ろせる位置にある中庭。
今日は天気も良く、大勢の患者がリハビリも兼ねて散歩している姿が見かけられる。
その中庭の隅にあるベンチに有希子は腰掛けて、新一の担当のドクターの話を聞いていた。

「息子さんの術後の経過は良好ですよ。彼女が来るようになってからは特に…」
『彼女』と言うのは勿論、有希子にとって大事な義理の娘、蘭の事。
「意識がなくても蘭ちゃんの事が判るのかしら…」
「判るというか…気配を感じているのでしょうね。あとは目覚めさえすればすぐにでも動けるようになると思いますよ。」
ドクターの言葉に有希子はフッと目を細めて笑った。
「今日こそ神様が奇跡を起してくれるかも知れません。だって、あの子達が結婚して初めてのクリスマスだもの…」

有希子は祈るような気持ちで誰に言うでもなくそう言って病室を見上げた。



「蘭ちゃんおまたせ!ごめんね?ドクターと話し込んじゃって。今日はもうそろそろ帰…」
有希子が新一の病室のドアを開けると、新一のベッドの賭け布を掴んだ蘭が苦しそうに蹲っていた。
「蘭ちゃん!大丈夫!?」
有希子が蘭に駆け寄って、その身体を支えると、蘭は苦しそうな表情で縋るように有希子を見る。
「お…義母さ…」
産気づいたのかも知れない、と判断した有希子は蘭に手を貸してその身体を起そうとした。
出産予定はまだ少し先の筈だったが。
「産婦人科行きましょう。立てる?」
「―――…っ!」
有希子の手を借りて立ち上がろうとした蘭の顔が更に苦痛に歪む。
既に破水してしまったらしく、蘭の足元を見ると水溜りが出来ていた。

「予定よりちょっと早いわね…今産婦人科のドクターを呼んで貰うからここでジッとしててね?」
有希子がナースコールに手を伸ばしてそのボタンを押した。
すぐにナースセンターから返答が入り、有希子はナースに蘭が破水してしまった事を伝える。

「し…新一…」
蘭は痛むお腹を押さえながら、眠っている新一の方に手を伸ばした。
「もうすぐ…もうすぐ赤ちゃんに会えるから…」
苦しそうな表情の中にも微笑が浮かんでいる。

「…待っててね…?」


バタバタと忙しない足音が聞こえた後、病室のドアが勢い良く開かれた。
「工藤さん、早期破水しちゃったって?」
蘭を担当している女性の日本人助産医が新一の病室に入って来た。
若いながらも多くの出産立会いの経験を持ち、ロスで日本人の妊婦を相手に活躍している、有希子も蘭も信頼しているドクターだ。
「大丈夫ですよ。赤ちゃんも今頑張ってますからね?お母さんも頑張って下さい。」
ドクターの力強い言葉に、蘭は痛みに涙を溜めながらも微笑んで頷いた。

ナースと有希子も手を貸して、蘭をストレッチャーに乗せ産婦人科の病棟へ連れて行く。


その場に居た全員が去り、まだ眠ったままの新一が部屋に取り残される。
この時、ベッドに横たわる新一の手が微かに動いた事に気付く者は誰もいなかった――



病院からの連絡を受け、新一の父、優作の運転する車で園子が病院に駆けつける。
有希子は蘭に付き添って分娩室に入ったらしい。

―蘭、頑張って…!

親友が出産の痛みに苦しんでいるのに、何も出来ない自分がもどかしい。
どうか無事に生まれるようにと、祈るように分娩室の扉を見つめるしか出来なかった。

国際電話を通じて、園子から小五郎と英理にも連絡が行く。
元々仕事が一段落したら二人してロスの蘭の所へ行くつもりで準備をしていたが、その報告を受けて居ても立ってもいられなく、二人はすぐに出発の用意を始めた。



蘭の出産は、比較的安産だった。
分娩室に元気な産声が響き渡った丁度その頃。

二ヶ月振りに新一の瞼が開いた…







蘭の病室に、ドアをノックする音が軽く響く。
「はい、どうぞ?」
返事を返すと、引き戸がカラカラと小さな音を立てて、園子が顔を出した。
「ら〜ん、おめでとー!お疲れ様!」
「園子!」
「ハイ、お祝い!」
小さな花束を掲げて蘭に見せると、蘭は照れ臭そうにはにかみながら「有難う」と返した。
「この花瓶使うね。」
棚の隅にあった花瓶に水を入れて、蘭の枕元のサイドテーブルにそれを飾りながら、小五郎と英理がこちらに向かってる事を蘭に伝える。
「え、ホント?」
「うん、夜には到着するらしいよ。優作おじ様が空港に迎えに行って来るってさ。明日には会えるよ。」

蘭はまだ18歳。
有希子や園子が居てくれても、新一も目を覚まさないまま、両親と離れての出産はとても不安で心細かった。
大好きな両親が来てくれる事に嬉しくて涙が滲む。

妊娠を知った時の小五郎の怒りはもう治まっただろうか。
自分と新一の赤ちゃんを愛してくれるだろうか。

今は機上の人であろう父親を想って、窓の外の空を見上げた。

「そうだ園子、赤ちゃん見てくれた?」
「見た見た!ちっちゃくて可愛いー!あの憎たらしい新一君の子供だなんて思えないよ!蘭、実は浮気したんじゃないの〜?」
「もうっ!何言ってるのよ!」
「冗談冗談!ずっと新一君一筋の蘭に浮気なんてできっこないって!」
園子が悪戯っぽく笑って続ける。
「もう可愛くて可愛くて、写真バシバシ撮っちゃった!ね、蘭が赤ちゃんダッコしてる所も撮りたい!ドクターと有希子おばさまに許可が貰えればここに連れてきてもいいんでしょ?」
「え…?うん」

蘭の子供は早産だった所為か体重は普通よりも若干少なかったものの、特に未熟児と言うわけでもなく健康にも問題がない為、一般の新生児室に預けられている。
明日からは新生児室を出て、蘭と同じこの病室に来る事になっていた。

「すぐ連れてくるから待っててー!」
園子が楽しそうに病室を駆け出して行く。
「赤ちゃん落とさないでよ〜?」
「大丈夫よ!」
園子のはしゃぎぶりに蘭はクスクスと肩を揺らして笑う。


園子が出て行くと、急に部屋が静かになってしまった。

赤ちゃん、無事に生まれてくれて本当に良かった…
ああ、早く新一にも会わせてあげたいな…



蘭は、産婦人科の向かいの位置の、新一が眠っている外科の病棟に視線を向ける。
暫くすると、カラカラと静かな音を立てて蘭の病室のドアが開き、蘭は園子が帰ってきたんだと、そちらを見て言った。
「早かったね、園…」

子供を抱きかかえて入って来た人物の姿を見止めて、言葉が止まる。


「し…んい…ち?」

そこにいたのは、優しい微笑みを湛えて蘭を見つめる新一の姿だった。

ドアを閉めると新一は、ゆっくりと蘭のベッドに近づく。

「よ…っと、結構重いんだな…」
新一は蘭のベッドサイドに置かれているベビーベッドに、子供を寝かせた。

蘭はまだ信じられずにいるのか、言葉が出て来ない。
あんなに会いたかった新一が目の前にいるのに。
手を伸ばせば届く距離にいるのに。

子供を寝かせると、新一は改めて蘭を柔らかい微笑みで見つめた。
「…ほんとに新一…?」
「他に誰に見えんだよ?」
「キッドの変装じゃない…?」
「バーロ。」

蘭の手が新一に向かって伸びる。

「新一ぃ…!」
蘭が涙を流しながら新一の腕に縋ると、新一はその身体をしっかりと抱き留めた。
「…んなに泣くなよ?」
「…だって…!」
蘭は言葉にならない想いを託すように泣きながら新一の胸に顔を埋め、新一はその想いを全て受け止めるべく蘭の身体を強く抱きしめ、蘭の髪に唇を寄せる。

「…ずっと…蘭の夢を見てた…」

新一が更に強く蘭を抱きしめると、蘭も新一の腕に強く縋りついた。




「ふ…んぎゃーーーーっ!!」

突然病室に子供の泣き声が響き渡った。
一瞬何が起こったのかと判断しかねた蘭だったが、すぐに声の主に気付いて慌てて子供を抱き上げる。
「ごめんごめん、放っておかれたらイヤだよね?ごめんね?」
抱き上げた子供の身体をよしよしと揺すって宥めると、大人しくなった。

「すっかり母親の顔だな?」
「…お陰様で。」

子供をあやす蘭の表情は穏やかで微笑ましく、新一は目を細めて二人の様子を眺めた。

「心配かけてごめん、とか。また待たせちまって悪かった、とか。出産お疲れ様…とか…色々蘭に言わなきゃいけない台詞は山ほどあるけど…」
新一の言葉に、蘭は子供から新一に視線を移した。

「オレを待っててくれて、オレを信じてくれて、オレの子を産んでくれて…ありがとう。」
新一を見つめる蘭の瞳にまた涙が滲んだ。

「オメーには言葉にならないくらい感謝してる…蘭がいてくれて良かった。」
新一は蘭の頬に指先を伸ばして、そっと触れた。




お礼なんていらない。
感謝なんてしなくていい。

新一が好きだから、新一のそばにいたかったから、新一の子供が欲しかったから。
だから信じて待っているしかなかった。
ただ、それだけなのに。


新一のそばにいられればそれだけで幸せなのだから…



「三人とも退院して落ち着いたら一緒にあの家に帰ろうな?」
蘭の頬に触れた新一の手に、蘭の涙がポロポロと落ちていく。

「もう二度と離さない…絶対に幸せにするから…」

そう言って子供ごと蘭の身体を抱きしめた。



「…うん…!」


もう二度と離さない。
絶対に離れない。


この幸せな気持ちを、想いを、ずっとずっと大事に守っていこう。


輝かしい未来の為に。






The End



…やっと終りました。
すみません、最後は何だか尻つぼみになってしまった気がします。
自分の表現力の乏しさに呆れてます…
最後まで見捨てずに読んで下さった方、有難う御座います。

えー、やっと幸せを掴んだ二人ですが、この後はきっと暫くロスのおウチで過ごすんでしょうね。
離れとかあると新一君嬉しいだろうな(笑)やり放題ですヨ。
『恋人同士』の期間があまりに短いまま蘭ちゃん妊娠しちゃったからね。


続き物は完結しましたが、裏はまだまだ更新していきたいので時々覗いてみて下さいね。

読んで下さって有難う御座いました!

おはなし部屋に戻る。




















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