『 砂時計 』
第三章 『 彷徨う心 』
いつもなら蘭は登校前に新一を迎えに行くのだが、流石に今日は出来なかった。
新一と顔を合わせるのが気まずくて、ショートホームルーム寸前の時間に教室に入った蘭だったが、新一の席は空だった。
「おはよう、蘭、大丈夫?」
昨日の事を知っている園子が後ろの席から心配そうに蘭に声を掛けてくる。
「…おはよ、園子…。」
蘭は園子に心配をかけるまいと、微かに笑って応えたが、無理して笑っているのが園子にも判る。
「新一君…来てないんだね…。」
園子が言った『新一』の名前に蘭は僅かにビクッと身を竦ませ、少しの沈黙の後に小さく頷いた。
昼休み…
蘭は園子と一緒に弁当を食べていたが、食が進まず箸でおかずを玩んでいた。
「蘭、食欲ないのは判るけど、ちゃんと食べなくちゃ…。」
「うん…ごめん…心配させちゃって…」
「謝らないで。蘭は何も悪い事なんかしてないじゃない。…悪いのはアイツなんだから!」
園子は怒りを露にして言う。
「園子…そんな風に言うのは止めて…?何か理由があったんだよ。何もなければあんな事しないよ。」
「また蘭はアイツを庇うんだから…。何が高校生探偵よ…。アイツがアンタにした事は立派な犯罪なんだからね!」
「おいアレ、工藤じゃねぇ?」
窓際で弁当を食べていたクラスメートが校庭の隅を歩いて校舎に向かって来る新一の姿を見つけて言う。
その一言に蘭の心臓はドキンッと跳ね上がる。
「何だ?今ごろ…また事件とかか?」
「いいよなー優等生はさ。警察にも先生にも信用されてっからな。」
「多少の遅刻でも構わねーってワケか。」
「アイツ、カバン持ってねーじゃん。何しにガッコ来たんだっつーの。」
蘭は思わず立ち上がって新一の姿を確認した。
(……新一……)
新一は制服は着ているものの、ブレザーの釦も留めておらず、シャツも第二釦まで外して、ネクタイすらしていない。
一見、大遅刻してきた不良のような出で立ちだった。
蘭は新一と顔を合わせるのが気まずいと思いつつも、教室に新一が入って来るのを待っていたが、新一は来ない。
(…どうしたんだろ…新一…?)
「そういや井出、オマエ2Bの毛利に告ったんだってな?どうだったんだ?」
そうクラスメートに訊かれたのは昨日蘭の唇を奪った人物――
ここは3年C組の教室。
「え?毛利ってあの工藤新一と付き合ってんじゃねーの?」
「それがさ、毛利まだバージンらしいんだぜ?ちょっとキスしてやっただけでボロボロ泣いちゃってんの!」
井出は昨日の屋上の出来事を数人の友人達にゲラゲラと可笑しそうに話す。
「マジでー?何やってんだ、工藤のヤツ。」
「手が早いのは事件解決だけかよ?」
「不能なんじゃねーの?」
「井出、ヤッちまえよ。」
「どーせオレらもうすぐ卒業だし、記念にイッパツ!」
「なんなら加勢するぜー?」
「つーか、オレにも廻せよ!」
ハハハ…と下卑た笑い声が3年C組の教室に響く。
その笑い声を止めたのは、ガラガラッと教室のドアを乱暴に開けた音だった。
それをしたのは、新一。
「工藤…?」
昨日、自分の目の前で蘭の唇を奪った人物を確認すると、真っ直ぐにその人物の元に歩み寄る。
「な…何だよ…?ここ、3年の教室だぜ…?」
新一の無言の迫力に、井出の声が震えた。
ガッと新一の手が井出の胸倉を掴む。
「ヒッ…!」
井出が声にならない悲鳴を上げた。
ガタンッと大きな音を立てて、その身体が机の上に倒される。
「キャ―ッ!」
突然の乱闘に、教室にいた女生徒数名が悲鳴を上げた。
翌日は朝から雨が降っていた。
昨日、新一が2年B組の教室に姿を現す事はなかった。
「昨日結局新一君、来なかったねー。」
園子の言葉に蘭は、俯いて応える。
「…う、うん…。」
蘭は内心新一と顔を合わせずにいられた事にホッとしていた。
ガラガラッと派手な音を立てて、教室のドアが開かれる。
「蘭ちゃん!」
クラスメートの女生徒が、教室に入るなり蘭の名前を大きな声で呼んだ。
「ねぇ、工藤君一体何があったの?!」
「え…?何…?」
突然の質問に、蘭は訊き返した。
「蘭ちゃんも知らないの…?職員室前の掲示板、見てない?」
職員室前では噂の真相を確かめようとする生徒で犇めき合っていた。
ザワザワと色々な話が飛び交っている。
「2Bの工藤ってあの工藤新一か?」
「うそーっ!」
「なんか3Cの井出を殴ったらしいぜ。」
「なんでなんで〜?」
「ショックー!私、工藤先輩のファンだったのに〜!」
「それがね、工藤君殴った理由言わないんだってー。」
「相手の先輩、全治2週間だって…。」
「オレ、半殺しだって聞いたぜー?」
「ごめんなさい、ちょっと通して下さい…」
人ごみの中を蘭はすり抜ける様にて、そこへ辿り着いた。
目的の掲示板に目をやった瞬間、蘭の思考が白く染まる。
張り紙にはこう記されていた。
『 下記の生徒、二週間の自宅謹慎を命ずる
2年 B組 工藤 新一 』
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