『 砂時計 』

 

第四章     『 雨の旋律 』

 

 

 

――-そんな筈ない…新一が停学だなんて…!

 

頭の中で幾らその事実を打ち消そうと思っても、蘭の目の前には間違いなく新一の停学を告示する張り紙が掲げてある。

目眩がして蘭は頭を振った。

 

「蘭!」

少し遅れて園子が蘭の元にやって来た。

「こ…これって…蘭…」

張り紙を見た園子が信じられない物を見たように声を震わせて蘭を呼ぶ。

「…園子…」

蘭は青い顔をして、後ろに居る園子に振り向いた。

「…な…何かの間違いだよ…蘭。新一君みたいな優等生が停学だなんてあり得ないよ。ホラ新一君、外面だけは良いから先生に信用されてるじゃない?…だ…誰かと名前間違えられちゃったのよ、きっと。」

園子は蘭を心配を取り除くようにわざと明るく笑って言った。

「わたし先生に訊いてきてあげるよ?ね?」

「…有難う園子……でも間違いじゃないと思う。…今、ここに来た時に誰かが言ってたの…。新一が3年の先輩を殴ったって…。」

思い当たる事がある蘭は園子から床に視線を移して言った。

「……心当たりあるの?蘭…」

園子の質問に蘭は黙って小さく頷き、キッと顔を上げた。

「…わたし…新一の家に行って来る!」

「え?蘭!?ちょっと!授業は〜〜〜っ?」

まだ授業が残っているのにも関わらず、蘭はその場から走り去った。

 

――――――蘭…もう止めないから…頑張れ…!

 

蘭が立ち去る姿を暫く見つめていた園子は、小さく溜息を吐いて蘭の後姿にそう語りかけた。

 

 

 

 

朝から降り続いている雨は午後になると激しさを増していた。雨だけではなく、風も酷くなってきている。

蘭は傘を持つのも忘れ学校を飛び出していた。

もっともこの雨と風では傘などまるで役に立たない。

 

新一の家までは帝丹高校から徒歩で20分程。走っても10分強はかかる。

蘭は既に濡れ鼠になっていたが、そんな事は構ってはいられなかった。

 

――――とにかく新一に逢わなくちゃ…

 

息を切らせて走る蘭の横を通り過ぎた1台の車が、キキッと音を立てて止まった。

パワーウインドウの窓がスーッと下りて、聞き覚えのある声が自分の名前を呼んだ。

「蘭さん!」

自分を呼ぶ声に、蘭は足を止めてその人物の姿を見つける。

「…哀ちゃん…」

運転席に居たのは、かつて灰原哀と呼ばれた少女だった。

今は本当の名前、宮野志保を名乗り阿笠博士の養女として博士の家に住んでいるが、新一も蘭も灰原哀と宮野志保を特に区別するでもなく、慣れ親しんだ灰原哀として接していた。

 

「蘭さん、どうしたの?そんなにずぶ濡れになって…。学校は?今、授業中じゃないの?」

「………」

「…その様子は工藤君絡みかしら?…彼、今日学校行ってないのね?」

志保の問いに蘭は頷いて答えた。

「工藤君の所へ行くんでしょ?送るわ。乗りなさい。」

 

蘭は少しの躊躇の後に志保の車の助手席に乗り込んだ。

 

車が雨に濡れた路面の上を滑り出すと間もなく志保が口を開く。

「…彼、一昨日昨日って病院にも行ってなかったみたいだったから、ちょっと心配してたのよ…。」

志保の言葉に蘭はルームミラーを通して志保の瞳を見た。

「…病院…って…?」

訊き返す蘭言葉に、志保は深く溜息を吐く。

「……やっぱり…工藤君あなたに話してなかったのね…。あなたには自分の口から言うからって彼に口止めされてたんだけど…今のあなたを見てたらちゃんと話した方がいいみたいだから………彼が言わないのなら私から言うわ。」

「…今の…わたし…?」

「不安で仕方ないって顔してるわよ?今にも壊れてしまいそう…何かあった?」

蘭はバックミラーを通して見ていた志保の瞳から視線を逸らした。『新一に犯された』とも言えず、蘭は顔を紅く染めて俯く。

「…無理に言えとは言わないけどね…わたしがこれから話す事は、あなたにはとっても辛い事実だけど…あなただから話すの。工藤君を支えてあげられるのはあなたしか居ないから…。」

「新一を…支える…?」

顔をあげた蘭は、今度はバックミラー越しではなく志保の横顔を見た。

志保は前を見据えたまま、話し始める。

「彼が飲まされたアポトキシン4869って薬の事は知ってるわよね?」

「うん…難しい話は良くは判らないけど、新一と哀ちゃんが小さくされた原因の薬って言う事は聞いた事がある…。」

「そのアポトキシン4869と言う薬は、細胞を自ら殺す機構を誘導する…言わば毒薬なのよ。本来ならば人一人簡単に殺せる位の劇薬よ。そんな薬を使い、一度殺してしまった細胞を解毒剤を用いて無理矢理に再生させるのだから、身体に大きな負担が生じる事になるのは必至…。」

蘭はハッとして志保の顔を見つめた。

「…勿論…心臓にもね。」

 

――――心臓にも…?

 

ガタガタと蘭の身体が震え出す。

「彼が幼児化していた時期に何度か元の身体に戻った事があったのはあなたも知ってるわよね?身体にも心臓にも相当な負担を与えていた筈よ。彼の身体はその度に物凄い苦痛を感じていたと思うわ…元の年齢の身体に戻った今でも…普段は何でもないように見えるでしょうけど…」

 

志保は一見淡々と語っているようにも見えたが、志保も辛いであろう事は蘭にも判った。

「…哀ちゃんは…?」

「勿論私もよ。でも彼は私より早い時期に幼児化し、解毒剤を使用した回数は私より多かった…。私より彼の問題の方が深刻なのよ…。正直に言うわね…。」

 

そんな筈はないと、次に想定される志保の言葉を頭の中で懸命に否定する。

 

「今のままの生活を続けていたら…彼は確実に死ぬわ。」

 

――――新一が…死ぬ…?

 

志保の言葉に一瞬蘭の意識が遠くなる。

「しっかりして、蘭さん。言ったでしょ?彼を支えてあげる事ができるのはあなただけだって…望みがないわけじゃないのよ。」

「…わ…わたしは…何をすれば新一を救ってあげられる…?」

「あとは…彼に訊くのね。…着いたわよ。」

哀の運転する車は丁度工藤邸の前に着いた所だった。

「哀ちゃん…」

「彼の助けになってあげて…?」

蘭は小さく頷くと、志保の車を降りた。

 

 

門の前で蘭は大きく深呼吸をする。

何度か呼び鈴を鳴らすが、新一の家は静まり返っていて、新一がインターホンに応える様子も、玄関から顔を出す様子も伺えない。

蘭は不安を振り払うように首を振って門を開け、工藤家の敷地内に入る。

玄関先でもう一度大きく深呼吸。

ドアノブを捻ると玄関の扉は開いていた。

 

「…新一…?」

 

玄関先から呼んでみるが、返事はない。

新一が学校に来る時に履いている靴は、玄関に乱雑に脱ぎ散らかしてあった。

「新一…いるの…?」

勝手知ったる他人の家。蘭は靴を脱いで、玄関から家の中に上がっていった。

「新一…ねぇ…新一…?」

 

新一のお気に入りの場所、彼の父親である優作の書斎を覗くが新一の姿はない。

暇を持て余していた時間の新一は、自室よりここにいる事の方が多かった。

一度本を読み出すと、蘭がいるのもお構いなしに読み耽ってしまう。

蘭がその事に文句を言うと、顔をあげて蘭を見るものの、新一の口から語られるのは彼の大好きなホームズや推理小説の主人公の話。半分呆れながらも、蘭はそんな新一の話を聞くのが好きだった。

また本に没頭してしまう新一の為に、珈琲を淹れる。

この書斎でよく繰り返される日常だった。

 

書斎にいないとなると、次に考えられるのは新一の自室…。

蘭は階段を上って二階へ上がる。

 

「…新一…」

 

キィ…と軽く音を立てて新一の自室のドアを開けると、新一はベッドの上に横たわり、胸の上に読み止しであろう本を開いたまま置いて、小さく寝息を立てていた。

 

 

――――…新一…

 

新一の姿をみて蘭の瞳に涙が滲んだ。

 

―――どんな気持ちであの時、あの先輩にキスされたわたしを見ていたの…?

 

蘭の頬を涙が伝って落ちていく。

 

―――何を考えて先輩を殴ったりしたの…?

 

蘭の瞳から止め処なく涙が溢れていく。

 

―――どんな想いで…わたしをあんな風に抱いたの…?

 

蘭は膝を折って新一のベッドの横に座り込み、新一の手を握りしめた。

 

―――新一…新一……新一…!

 

次々に溢れ出す蘭の涙が新一の手の甲に落ちていく感覚に、新一が瞼を開け、その姿を確認する。

 

「…蘭…」

―――夢の続きか…?あんな事をしたオレを蘭が許す筈がない…

 

目覚めたばかりの新一の頭に一瞬そんな考えが過ぎったが、自分の手を握りしめる蘭の手の感触は夢ではなかった。

ハッと我に返り、新一は上体を起こした。

 

途中まででも激しく降る雨の中を走った蘭の身体はずぶ濡れになり冷え切っている。新一の手を握っている、その手も氷のように冷たくなっていた。

 

そんな蘭の姿を見て新一は心配するものの、自分が蘭にした事は到底許して貰える事ではない。許されてはいけない。

徐に口を開くと、彼女を突き放す言葉を放った。

 

「…何しに来たんだ…?」

蘭の耳に届いた愛する人の声は、一昨日自分を陵辱した時に聞いた低く冷たい声…。

「帰れ。オレの近くに居ると何されっか判んねぇぞ?」

そして自分を見下ろす愛する人の冷たい瞳…。

「おい、何か言えよ。」

何も言わない、身じろぎ一つしないでただ自分を見つめる蘭の顎を指でグッと上げさせる。

「ん…ッ」

一瞬、蘭が眉を寄せて苦しそうな声を上げた。

新一は口の端を上げて笑うと、蘭に顔を近づけて言う。

「それとも…また強姦されてぇ?」

新一を見つめる蘭の瞳は寂しそうに揺れ、相変わらず何も言おうとしない。

「おい、ら…」

「…ううん…わたしが新一に抱いて欲しいんだったら……強姦にはならないよ…?」

「…!?」

蘭の意外な言葉に新一の目が見開かれる。

「……蘭…?」

「哀ちゃんに聞いたよ…心臓の事…。」

「…!」

蘭の真っ直ぐな目が新一を見つめている。

どんな弁解も言い訳も、今の彼女の前では意味をなさない。通用しない。

それを悟った新一は、見つめられる視線に耐えかね、蘭から目を逸らし、掴んでいた蘭の顎を離した。

「…ったく…アイツ見かけに寄らずおしゃべりなんだな…。」

蘭の瞳が辛そうに新一を見ている。

 

新一は蘭の頭に軽く手を置くと、フッと目を細めて微笑み、蘭の髪をそっと撫でた。

 

 

「…んな顔すんなよ…全部話すからさ…。」

 

 

 

 

 

 

 

 



NEXT or BACK  



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送