ACT・3 『崩れゆく城』 〜クズレユクシロ〜
「…は…っ、離して…っ新一…っ!」
蘭は身を固くして、新一の腕から逃れようともがく。
新一はそれを許さない。
「離さねぇよ…。」
新一の声は蘭が今まで聞いた事のない、低く掠れた声だった。
蘭が欲しくて欲情する『雄』の声…。
「や…っ。お…お願い…っ新一…。」
「さっきは自分から抱きついて来たクセに…。嫌なのかよ?」
蘭は答えられない。
自分でも解らないから…。
「し…っ新一が私に合い鍵をくれたのは…そういう事がしたかったからなの…?」
「…それもあるよ。」
新一は更に強く蘭を抱き締める。
「…っ、や…っ、ヤダ…っ!新一…っ!」
「オメー…オレを何だと思ってんだよ…?オレだって男なんだぜ…?好きな女と二人きりになったら…欲しくなるの…あたり前だろ…?」
新一は蘭の耳元で低く囁く様に言う。
その声に蘭は、ゾクリとしたものが背中を駆け抜けるのを感じた。
「今までだって相当耐えて来たんだぜ…?もう待てねぇよ…。」
新一は蘭の細い顎を手で捕えると、その唇を奪う。
「んん…っ!」
蘭は不意の口づけにくぐもった声を漏らした。
「いやっ!!」
ドンッと、蘭が新一の体を突き飛ばす。
新一が蘭を見ると、蘭はボロボロと涙を零していた。
「…いいよ…。もう帰れよ…。」
新一は蘭から視線を外し、呟くように小さい声で言う。
蘭は今日新一に嵌めて貰った指輪を外し、ポケットから取り出した合い鍵と一緒に新一に投げつけた。
「新一のバカぁっ!!」
バンッ!!
大きな音を立て、リビングの扉が閉まる。
「…オレ…ホント、バカかも…。」
新一は呟いて頭を掻く。
してはいけない事をしてしまった…。
言ってはいけない事を言ってしまった…。
蘭が欲しくて、事有る毎に理性と欲望を戦わせて来たけれど。
お互いが自然とそういう気持ちになるまでは待つつもりでいたのに…。
雷に震える蘭の柔らかい肢体を抱き締めていたら、理性なんていうものは風前の灯火の如く、何処かへ吹き飛んでしまった。
一方、蘭は勢い良く工藤家を飛び出したものの、玄関の軒下から動けずにいた。
新一…怒ってるよね?
呆れられちゃったかな、わたし…。
でも…新一が悪いのよ?
いきなり、あんな事…するから…。
見上げると黒い空からは止む事なく雨が落ちて来ている。
蘭は今日一日、新一が見せてくれた様々な表情を思い出す。
蘭が待つ花火の会場へ息を切らして掛け付けてくれた新一…。
縁日の輪投げで自分が欲しがるオモチャの指輪を取ってくれた新一…。
からんで来る男達から、守ってくれた新一…。
雨の中、下駄で走れない自分を抱えて走ってくれた新一…。
自分の作った料理を美味しそうにひとつ残らず食べてくれた新一…。
少し照れながら、家の合鍵を渡してくれた新一…。
雷に震える自分を優しく抱き締め、宥めてくれた新一…。
…新一…。新一…。新一…!
改めて蘭は、自分がどれ程新一の事を好きなのか思い知る。
涙が溢れて止まらない。
どうして拒む事なんかできたんだろう。
こんなにも…
こんなにも新一の事…好きなのに…!
新一以外にこの身を捧げられる人なんているはずがない。
他の誰に許せる身体だと言うのだろうか…。
「…やっぱり謝ろう…。」
蘭は決心した様に顔を上げて、再び工藤家の中へ入って行った。
「新一…?」
リビングを覗くと、コーヒーカップが二つ置きっ放しになっていて、新一の姿はなかった。
先程、新一に投げ付けた指輪と鍵を拾ってポケットにしまう。
「…上…、かな…?」
蘭は階段を登り、二階に着くと、新一の部屋のドアを軽くノックする。
「…新一…いるの…?」
「帰れって言ったろ?何しに来たんだよ?」
ドア越しの新一の声は少し怒りの色を含んでいた。
「…怒ってるよね…?」
蘭は肩を落として言う。
「あ…あの…ね、ごめん…なさ…。」
涙で声が上手く出ない。
カチャ…ッと、新一が中からドアを開けた。
「…なんで泣いてんだよ?怒られるのはオレの方だろーが…。」
「ご…ごめんね、新一。さっき…わたし突然だったから吃驚しちゃって…。」
蘭がしゃくり上げながら言う。
「オレの方こそ悪かったよ…。」
新一は触れるのを嫌がられるかもと思いながらも、泣き続ける蘭の髪をそっと撫でる。
「…本当はさ…、前々からそうしたい気持ちはあったんだけど…オメーにはそんな気、全くねぇみてぇだから…オメーがそんな気になるまで…待つ覚悟はしてたんだけどさ…。」
新一は後ろめたさに、言葉を途切らせながら言う。
「…で、何?戻って来たって事はそんな気になったワケ?」
「ちっ違うわよバカッ!」
という台詞が返ってくるつもりで冗談半分に訊くが。
蘭は小さく頷く。
「…蘭…?」
蘭は震える足で新一に少しずつ歩み寄り、新一の肩に顔を埋めた。
「……新一が好きだから…。新一じゃないと…嫌だから……。」
その声も身体も震えている。
「…本気で言ってんのかよ…?」
蘭は言葉もなく頷いた。
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