『砂時計』

第九章  『あったかい気持ち』



智明の計らいで、智明の知り合いの産婦人科の女医が新出医院まで往診に来てくれた。
智明の推察した通り、蘭は身篭っていた。
その事実を新一は意外と冷静に受け止めた。

自分がこの子の父親になるのだ、と。
宛てのない未来にも小さな光を見出し、蘭とこの子を守っていく決意を固めていた――

「工藤君…どんな事情があるかは知りませんが、君達がそのつもりなら僕は協力は惜しみません。まだ高校生で大変だろうけど出来るだけ力になりますから…」
そう言って智明がひかるを見ると、ひかるも微笑を浮かべて智明の言葉に頷いた。
「…有難う御座います。」
新一は、智明とひかる深く頭を下げる。
「工藤君…蘭さんと赤ちゃん…大事にしてあげて下さいね…?」
ひかるの言葉に、新一は力強く頷いた。



蘭の病室に入ると、蘭はまだ眠ったままだった。

―蘭…ごめんな…?絶対オメーを一人にはさせねーから…一生かけても守っていくから…








閉ざされていた蘭の瞼がそっと開かれる。

自分は確か冷たい雨の中にいた筈――
暖かい布団の感触に、蘭は少し戸惑いを覚えた。

そっと視線を巡らせると、自分を優しく見つめる新一の顔が映る。


「…新…一…」
「…目、覚めたか?」
柔らかい微笑を浮かべた新一は、蘭を気遣うように小さい声で問いかける。
「大丈夫か?気分とか悪くねーか?」
蘭は新一の囁くような優しい声に軽く頷いた。
「今夜はもう遅いからここに泊めて貰え。オレもここにいる。おじさんには連絡入れといたからさ…」


――どうしていいのか判らない。新一に真実を告げるべきなのか、黙っていた方がいいのか。

新一の優しい声に、蘭の瞳から涙が零れた。

言ってしまおうか…自分の中に芽生えた命の存在を。

「蘭…?」
揺れる蘭の瞳に新一が小さく問いかける。
「あ…あのね…新一…わたしね……わたし……」
だが、そこまで言って蘭はその先の言葉を綴る事ができない。

新一は間もなく行ってしまう…
今、事実を知らせたら、負担をかけてしまう…

「…知ってる。新出先生に聞いたよ。」

思いがけない新一の言葉に蘭は、涙の溢れる大きな目を更に大きくした。


「ごめんな?蘭…オメーにばっかり辛い想いをさせちまって…」
「………」
新一の蘭を労わるような囁きに、蘭は少しの躊躇の後に小さく首を振った。
「オレの手術は、子供が生まれるまで延期する…」
その言葉に蘭は弾かれたように顔を上げた。
「…で、でもそれじゃ…」
「へーきだって。オレ、見ての通りピンピンしてるだろ?少し位遅らせたって同じだよ。」
自分の心配を遮ろうかとするような新一の言葉に、蘭は顔を歪めた。
「んな顔すんなよ…今はオメーと赤んぼの事の方が大事だからさ…」
新一は蘭の手をギュッと握り締めた。

「元気な赤んぼ産んでくれよ…?」
蘭は握られた新一の手を、弱い力で握り返す。
「…いいの…?産んでも…」
「あたりめーだろ?」
「わたし…この子のお母さんになる資格なんてない…一瞬でも……この子を…殺そうとしたんだよ…?」
蘭の瞳から涙が止め処なく零れていく。

新一は握り締めた蘭の手にそっと口付けた。
「…誰だってこんな時には迷って当然だろ…?その分、生まれてきてから愛してあげれば良い。…蘭は何も悪くない。全部オレの所為なんだから…」
新一の自分を責めるような言葉に蘭は首を振った。

―違う。誰の所為でもない。
自分は最愛の人の子を授かって、幸せな筈なのだから…

その想いが新一にも伝わったのか、新一は蘭を見つめたまま小さく頷いた。


「…産んでも…新一の負担に…ならない…?迷惑じゃない…?」
「バーロ!何言ってんだよ。あたりめーだろーが。負担どころかすげー励みになるよ。何が何でも絶対帰って来る。」

握りしめた蘭の手を、新一は笑って強く握り直した。
「オメーとこの子の為にさ…」
蘭も新一の手をしっかりと握り締めた。
「オメーは…どうしたい?」
「…産みたい…絶対に産みたいよ…」
「じゃ、産んでくれよ?オレは絶対帰って来るから…二人で一緒に育てて行こうな…?」

蘭は上半身を起こして新一に向き合った。
「うん…ありがと…」

蘭の手が新一に伸ばされる。
新一はその手をぎゅっと掴んで自分の方に引き寄せた。
「ありがと…新一…!」
泣きながら言う蘭を、新一は腕の中に納めた。
「バーロ…礼を言うのはオレの方だろ…ありがとな、蘭…」

新一は強く蘭の身体を抱き締め、蘭はしゃくり上げながら抱き締めてくれる強い腕に縋りついた。

二人は互いに強く抱き締め合う。



 守られているのはオレの方だ…このか細い優しい腕に。

 何があっても決してこの腕を離しはしない。





新一は決意を新たに蘭の身体を抱き締め続けた―





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